【第1章】震災から誕生。いちごの垂直統合型ビジネス

― GRAの事業概要について教えてください。

株式会社GRAは2011年に創業したアグリテック・スタートアップです。テクノロジーを活用したいちごの生産や研究開発、「いちびこ」などのBtoCブランド展開を通じ、いちごを軸とした「垂直統合型」のビジネスモデルを構築しています[1]。

この事業を始めたきっかけは、私の故郷・宮城県山元町が2011年の東日本大震災によって壊滅的な打撃を受けたことです。人口1万人ほどの小さな町で、唯一の特産品がいちごでしたが、いちご農家が129戸のうち125戸が津波で流されました[2]。当時、私は東京で別のITスタートアップを経営していましたが、東京から週1でボランティアに通うだけでは足りず、会社の経営を共同創業者に託して宮城に戻りました。

東日本大震災後の坂元駅前に立つ岩佐大輝さん
ボランティア時代の岩佐さん。坂元駅前にて

私はゼロからいちご農業を再建すべく、小さいビニールハウスを建てて生産を開始しました。GRAをともに設立したのは、地元のいちご農家の匠である橋元さん。彼に「いちご作りを教えてください」と頼んだところ「いちごに喋りかけて覚えろ」と返ってきました。「どれくらい頑張ったらいちごと喋れるようになりますか?」と尋ねると「15年一緒にやれば分かり始める」と。 当時、すでに農業従事者の高齢化が進んで匠の勘や経験が継承されないまま失われていく危機感を覚えたため、時間をかけていられませんでした。

― せっかくの特産品が、再生できないまま終わってしまいますよね。

はい。いちご栽培の「匠の技」をITの力で形式知化し、定量的な管理と環境制御によって再現することを目指しました。栽培技術をデータ化することで、同じ面積でも従来の倍以上の収穫量を達成できるようになりました。加えて「ミガキイチゴ」というブランドを立ち上げ、1粒1,000円で販売される高級フルーツとして展開。これは日本における高価格帯フルーツ市場の斬新的な取り組みでした[3]。

赤い背景の前に置かれた1粒1,000円のミガキイチゴ
1粒1,000円のミガキイチゴ

ただ、いちごの収穫期は冬場に限られるため、雇用の季節変動が生まれてしまいます。ミッションとして「農業を強い産業にすることで、世界中の地域社会に持続可能な繁栄をもたらす」と掲げる以上、通年で仕事を提供できないのは本意ではありませんでした。

そこで一次産業にとどまらず、六次産業化を推進しました。いちごの果実や果汁を活かしたスイーツやリキュール、さらにスキンケア商品までを展開するブランド群を立ち上げました。現在(2025年7月)、いちごスイーツの「ICHIBIKO(いちびこ)」や焼菓子ブランドの「nomaru bake(ノーマルベイク)」などを手掛けています。

― 垂直統合だけでなく、地域への雇用波及も設計していらっしゃるんですね。

はい。事業として成功しても、自社だけで完結してしまうと地域社会に雇用が生まれません。そこで、新規就農支援事業「ミガキイチゴアカデミー」を設立し、農業未経験の方が2年間の寮生活を通じて独立就農できるプログラムを用意しました。アカデミーで最高品質のいちご栽培技術を学び、卒業後はGRAが苗や販路支援を提供するフランチャイズ型のモデルです。2025年8月時点で10社以上の農業経営体がこのモデルで独立し、日本の平均農家を上回る収穫量を達成しています。

― GRAのご活動によって、山元町にも大きな変化が生まれています。

震災前と比べて山元町の町民所得は約1.4倍になり、町全体が豊かになっています。特に注目すべき点は、町内でミガキファーマーが続々と独立していることです。家族経営が主流だった農業に100人を超える若者が関わるようになり、地域の雇用が掛け算で増えています。

【第2章】1粒1000円。あのミガキイチゴの舞台裏

― 岩佐さんが地域復興を始めた2011年当時、東日本はまだ余震が続き、物資や人手も不足していたと想像します。そのような中、なぜ1年でGRAを立ち上げ、ミガキイチゴを百貨店に並べることができたのでしょうか。

私が持っていたお金も時間も人脈もオールインし、リスクテイクしたからです。前のIT事業で稼いだお金を全てつぎ込んでも足りず、創業1年目から個人保証で何億円も借りました。当時在学していたグロービス経営大学院の仲間や経営者の友人たちに会いに行き「一緒にやろう、手伝ってほしい」とドブ板営業のように頭を下げて回りました。

― 創業初期は「どう進めたらいいのか」と迷う場面もありましたか。

全てが大変でしたが、なぜか、細かいことは覚えていません。井戸掘りやパイプハウスの建設を手掛ける傍ら、全国各地にいる数十人の農家従業者の方々に会いに行き、イスラエルやオランダなどアグリテック先進国も視察しました。研究論文や書籍も片っ端から読み漁り、誰よりも理屈で農業に詳しくなろうと必死でした。

― ミガキイチゴについて伺います。ICT(情報通信技術)で温度や湿度、CO2濃度をリアルタイム管理し、高品質かつ安定的な生産を実現していらっしゃいます。

いちごは寒くなると甘くなりますが、気候に左右されやすく、品質のボラティリティが大きいです。一般的には11月から翌6月までがイチゴの収穫時期で、時期によって糖度や酸度が変化し、品質にもばらつきが出ます。一方、私たちの作るミガキイチゴはシーズン中、安定したおいしさをキープしています。これはセンシング技術と環境制御(制御式ハウス)によって実現しています。

オランダのいちご栽培施設で設備を視察する岩佐大輝さん
アグリテック先進国のオランダを視察

― 一般のいちごと比べて、ミガキイチゴにはどのような特徴がありますか。

大きく3つあります。まず、糖酸比のバランスが圧倒的に良いこと。甘みだけでも、酸味だけでもおいしくありません。両者が調和することが重要です。次に、私たちが開発したオリジナル品種「ハナミガキ」を使っていること。一般的ないちごよりも華やかな香りが立ち、食べると花の余韻が残ります。3つ目に、毎日サンプリングして糖度や酸度を数値で測定していること。品質基準を可視化してブレさせない仕組みがあります。見た目の艶、食感、みずみずしさも含めて完成度が高いのが特徴です。

― 「とちおとめが好き」「あまおうが好き」など、いちごには好みも多いですよね。ミガキイチゴの基準はどのように設計していらっしゃいますか。

宮城の冷涼な気候や冬の日照量を鑑みて品質を定義しました。とちおとめは栃木、あまおうは福岡、そしてミガキイチゴは宮城。それぞれの生産環境が異なれば、適した品種や味の方向性も変わります。私たちは地域と消費者の嗜好性を掛け合わせて分析しました。例えば、関西では甘み重視、関東では酸味を求められます。また、若い世代ほど甘さを好む傾向もあります。そうした市場の感覚をリサーチしながら「宮城で育ついちごとして最も理想的な糖酸比」を導き出しました。それにしても、すごい質問ですね。メディアでこの話をするのは初めてです。

【第3章】匠の勘を再現「経験知 ✕ 定量知」融合型技術

― 匠の勘をテクノロジーで再現する取り組みについて伺います。農業はベテランの経験に依存しがちですが、どのようにデータドリブンな生産体制を築いたのでしょうか。

農業には「植物はこんな条件で健全に育つ」といったセオリーがありますが、それはあくまで一般論です。GRAではそのセオリーを宮城の気候条件や土壌環境に合わせてアップデートし、地域最適化された生産ロジックへと再構築しています。例えば、経験豊富な匠が「いちごが風邪を引いている」と言っているとします。理屈ではその時点での温度設定がベストなはずですが、匠の言うとおりに温度を2、3度上げたとします。そうすると、不思議とイチゴの状態が必ず良くなります。私たちは温度をはじめ「蒸散量」「光合成量」「CO2濃度」「日照量」などから定量的に栽培できるようにしたいですが、こうした「理論」と「実践」のズレを一つずつ検証しながら現場の勘をデータ化していきました。

また、匠の視線を記録するためにウェアラブルカメラを装着してもらい「どこを見て、何を判断材料にしているのか」を観測・分析しました。理論や知識、現場感覚の3点を繋ぎ合わせ、最終的には地域独自の形式知として栽培ノウハウを蓄積する取り組みです。

いちご農園でミガキイチゴを手にする共同創業者の橋元洋平さん、橋元忠嗣さん、岩佐大輝さん
共同創業者のお二人と。左から橋元洋平さん、「匠」の橋元忠嗣さん、岩佐さん

― センシング技術でリアルタイム制御も行っていらっしゃるんですね。

匠の判断をセンシングと環境制御によって24時間365日自動的に再現することを目指しています。「いちごが寒がっている」と感じられるのは匠だけですが、匠が現場にいなければ気づけないし、朝3時にハウスの温度を調整することもできません。属人的な勘を外部化し、仕組みに落とし込む。これが私たちが実現しようとしているアグリテックです。

― 匠の知見を形式知化しても「違う」と認めてくれない場合、どのように歩幅を合わせましたか。

歩幅を合わせるよりも、お互いの価値観を尊重し合いながら会社を経営しました。親子ゲンカのようにぶつかり合うことも度々ありましたが、仕事が終われば一緒にご飯を食べたため、人と人としての信頼関係が大変深くなりました。残念ながら、匠こと橋元さんは3年前に他界してしまいました。彼は最後まで勘と経験を貫く真の職人でしたが、結果的に「テクノロジー ✕ 匠の技」によって圧倒的な栽培技術が完成し、現在も進化し続けています。

【第4章】死と隣り合わせのスポーツから得る「胆力」

― 岩佐さんはサーフィンやキックボクシング、マグロ釣りなど、多くのスポーツを嗜んでいらっしゃいます。始めたきっかけは何だったのでしょうか。

サーフィンは中学時代の剣道部の先生がサーファーで、かっこよかったんです。それに憧れて20代で上京し、すぐに車の免許を取って始めました。今も週の半分は宮城にいるので、波があれば必ず海に行っています。

キックボクシングは、同年代で東北出身のK-1ファイター、小比類巻 貴之さんに誘われたのがきっかけです。40代になって体力の衰えを実感し「一番フィジカルに響くスポーツに挑戦しよう」と。試合にも出場し、通算7戦4勝3敗。最後は強敵に1試合で3回もダウンを奪われて「これが限界だな」と感じて引退しました。

キックボクシングのリングでマイクを持つ岩佐大輝さん
キックボクシングの試合にて

マグロ釣りは、もともと30歳からフィッシングをスタートしたらのめり込み、船を購入して大島まで船を操縦するようになりました。最初は鯵やタイ、次第にブリやヒラマサへとステップアップして、最終的にはマグロに。40kg級のマグロを釣り上げたこともあります。

― 素人な質問ですが、マグロは一般の方でも釣れるものなのでしょうか。

マグロ釣りは「人間 vs 自然」の真剣勝負ですが、道具さえあれば一般人でも釣れます。巨大なマグロが引っかかったら1時間以上かけて引き上げることもザラ。マグロがかかったらどうやって船に取り込むのか、マグロのどこを銛で突いたら仕留められるのか。また、巨大なマグロを船に取り込むためにどうやって5倍力や15倍力の滑車を作るのかなど、シミュレーション力が問われます。しかも休日、海況、魚影、ルアー、メンバーの全てが揃って、初めてマグロが釣れるチャンスが訪れます。そんなワンチャンスに備えて、道具も体力も完璧に整えておく必要があります。これは、ビジネスと同じかもしれません。

― サーフィンでも果敢な挑戦をしていらっしゃいますよね。

サーフィンでは海にいるのでレバレッジが効かず、道具を持った人間の力なんてちっぽけです。私はビッグウェーブというジャンルに挑戦していて、沖合いまで何kmも漕いで屋根よりも高い巨大な波に乗ります。それは恐怖との戦いですね。波に巻かれたら命を落としかねない。

数年前の冬、アリューシャンで発達した爆弾低気圧のうねりが日本まで到達した時、東北の海でその波を狙いました。すると高波に飲まれて道具が壊れ、真冬の海を漂流することになったんです。数時間さまよった末、スマートウォッチでヘリを呼び、何とか救助されました。

大きな波をサーフボードで滑走する岩佐大輝さん
どんな難しい波も乗りこなす岩佐さん

― 常にサバイバル精神を駆り立てられるスポーツを選んでいらっしゃるんですね。

そうかもしれませんね。自然を相手にするビジネスには、精神的にギリギリの戦いがあります。だから、プライベートでも極限の状況に身を置きたくなるのかもしれない。精神科的には「嗜癖行動」と呼ばれるそうですね。どの分野でも、やると決めたらプロレベルまで極めたい性格なんです。でも、ヘリコプターのように人に迷惑をかけるようなことは二度と起こしたくない。命の尊さと向き合いながら、ギリギリの世界で自分を試したいです。

【第5章】構造的課題を突破する「コ・クリエーション」

― 日本の農業における構造的な課題は何だとお考えですか。

最大の課題は、食料自給率が約38%(2023年度)と極めて低いことです[4]。災害や有事が起きたら、私たちは食べるものすら確保できない状況に陥る可能性があります。農業は衣食住の「食」を担う最重要産業でありながら、リードタイムが長い。いちごのような季節作物では、1回のPDCAやSECIモデルのサイクルに20ヶ月以上かかることもある。新しい技術や知見を導入しても、それが定着し、成果が見えるまでに年単位の時間が必要になるわけです(SECIモデルとは:個人の経験や勘による知識(暗黙知)を組織全体で共有・活用できる形(形式知)へと変え、新たな知識を生み出すフレームワーク)。

さらに、日本の農業は戦後の農地解放によって細分化され、小規模経営が主流です。隣の農家と連携せず、各自が独立して運営してきたため、知見がスパイラルアップしづらい。変化に時間がかかるこの産業において、知の共有と横展開が進みにくい構造そのものがボトルネックです。

数百ものセンサーが設置されたGRAイチゴワールドの栽培ハウス
数百ものセンサーが設置されている「GRAイチゴワールド」(宮城県山元町)

― そのような環境をどのように突破していきたいとお考えですか。

「自分たちだけでやっても限界がある」。だからこそ私は仲間とともにコ・クリエーションの力で農業を進化させたいと考えています。例えば、各社が技術や知見、データを共有し、1社なら10年かかる知見蓄積を10社で一気に回せば1年で得られる。これは業界全体の加速に繋がるはずです。

また、高齢化によって多くの農家が引退する今、新たな担い手が田畑を引き継ぎ、地域ごとに農業法人が形成されることも重要です。各地域に豪族会社のような農業経営体が複数立ち上がれば、それぞれが一定のスケールを確保しながら全国的にネットワークを築いていけます。そうすれば、SECIモデルの循環もスピード感を持って回せるようになるでしょう。形式知と経験知を横断し、理屈に基づいた農業を実践できる若い経営者が増えていく未来を実現したいです。

サーフボードと車のそばに立つ岩佐大輝さん

― 最後に、物価高や将来不安、環境変化などに悩むビジネスパーソンの皆さんにメッセージをお願いします。

日本は「失われた30年」と言われて皆さんが自信を失っていますが、ポジティブサイドもあります。その一つに格差が挙げられます。この30年で欧米はとんでもないほどの格差社会に陥り、目も当てられないほど人々の分断が加速し、尚も現在進行形です。日本でも格差が少しずつ広がりつつありますが、それでも十分にフラットで挑戦者と非挑戦者の差も小さい。だからこそ、誰もが一歩踏み出して挑戦しやすい国だと思います。

もちろん、そうは言っても動けない理由は沢山あるでしょう。私自身も農業なんて全く知りませんでしたが、やってみたら「やれないことはない」と分かりました。未知のものは難しく見えるだけで、やってみると扉は開いていくんです。アクションしないことが一番のチャンスロスになる。無理して海外に出ろ、会社を辞めろとは言わない。自分が動ける範囲のギリギリまで、ぜひ動いてみてほしい。それだけで見える景色が変わってきます。

佐野さんもNewsPicksの正社員だった頃から、組織の枠を超えたアクションをしていましたよね。そういう人には、必ず違うチャンスが舞い込んでくる。だから、アクションです。全てはそこから始まります。

― もったいないお言葉をありがとうございます。岩佐さん、お話をお聞かせいただきありがとうございました。

【エピローグ】

岩佐:最近、ミドルエイジ・クライシスを感じる年頃になりました。スタートアップ起業家として引き続き同じようなテンションでやっていくのか、あるいは役割を大きく変えて世の中に貢献していくのか。個人的に20〜30代の頃に比べるとやんちゃ感がなくなって、同じ役割のまま生きていくのは難しいと感じることも多いんですよね。

佐野:そうなんですね。岩佐さんは常に多方面で活躍していらっしゃるので、そのようにお悩みなのが意外でした。

岩佐:悩んでいますよ。チャールズ・ダーウィンも進化論の書籍「種の起源」が大ヒットしたけれど、晩年は研究成果に恵まれず悩んでいたという話を聞いたことがあります。反対に、バロック音楽の作曲家のバッハは晩年、後進に道を譲って指導に徹した。私も彼のように役割を変えて充実感を持って生きる人になりたい。歳をとっても若い時と同じ雰囲気を持っているよりも「枯れ感」を受け入れたくて。

佐野:確かに、若い魅力も素敵ですが、年相応の精神性や実績、人間的な深さを持って次のステージに臨むことにも憧れます。

参考資料

  1. 株式会社GRA「企業情報」
  2. 山元町「山元町震災復興記録誌 復興の歩み」
  3. 株式会社GRA「ミガキイチゴアカデミー」
  4. 農林水産省「日本の食料自給率」
取材対象者
株式会社GRA代表取締役CEO 岩佐大輝
取材日
2025年7月22日
初回公開日
2025年8月19日
最終更新日
2026年9月2日
企画・取材・執筆
佐野 桃木
写真提供
沼田 孝彦、岩佐 大輝
最高顧問
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